こんにちは!
江別・岩見沢エリアで唯一の女性専門鍼灸院【はりきゅう・アロマ日々のあわ】院長の熊坂です。
この春、私が所属していたHIV/ AIDS予防啓発団体・イルファー釧路が発展的解散となりました。
2004年の発足からちょうど20年目の春となります。
20周年にてファイナル。
なんだかかっこいいですね。
イルファー釧路での経験は、私の医療人としての根幹を形成してくれました。
この経験を授けてくれたイルファー釧路とそれに関わる皆さんに心から感謝しています。
今年2月、その事務局長だった須藤隆昭さん(私の鍼灸の師でもあります)からLINEが届きました。
こんばんは。ただいまイルファーの最終通信の編集会議をしています。
ケニアの派遣鍼灸師としての感想と思い出を800字以内に原稿にまとめてもらえませんか?
締切は3月10日。
ケニア間メンバー鍼灸師の代表として熊坂に書いてもらいたいと僕が思いました。
よろしくお願いします。
コアメンバーの総意です。
驚きましたが、ありがたくこのご依頼を拝受いたしました。
先日そのイルファー釧路通信の最終号が届きました。
その1ページに寄稿させていただいた駄文を記録のためにこちらにも掲載させていただきます。
ケニアから持ち帰った小骨~イルファー釧路解散に寄せて~
鍼灸師 熊坂 由希子
2023年11月スマートフォンをスワイプする手を止めると、私の口からは思わずくぐもった声が漏れた。その時目に飛び込んできた文字は
“師走講演会The Final”
宮城島先生のFacebook投稿にてイルファー釧路の解散を知ったのだった。
私がケニアを訪れたのはそれから遡ること10年。2013年9月のことだった。その2週間にも満たない経験は私にとっては鮮烈だった。
日本からは内科医5名、薬剤師2名、歯科医師1名のメンバーとともに現地入りした。現地で待っていて下さったのはイルファーの中枢である稲田頼太郎医師と日本赤十字の五十嵐真希さん。全ての方がプロフェッショナルで、そしてなんと言ってもビールをよく飲む集団だった。ケニアの瓶ビールタスカーが瞬く間に空いていく。
そんなプロ集団の一員としてチーム医療に携わることができたことは私の宝物だし、それまで頑なに鍼を受けようとしなかったという稲田先生に初めての鍼を打ったのはどうやら私らしいということは今でも誇りに思っている。
プムワニ村では足が棒のようになるまで鍼を打ち、灸をすえた。フォローアップで来るHIV陽性者の方の中には鍼灸の受療を楽しみに待っていて下さった方もいて、キャンプに参加してきた諸先輩のおかげで鍼灸がこの地で根付いていることをうれしく思った。ナイロビ周辺は高地にあり朝晩の冷え込みが激しいためか、お灸が大人気だったのは新たな知見だった。連れられてくる子供たちの素直さや屈託のない笑顔には毎度はっとさせられた。
もちろんきれいな思い出だけではない。現地で生きる人たちの打算や狡猾さにも触れた。そしてキャンプ最終日に起きた外国人をねらったテロとそれによる戒厳令下の街に身を置いた経験を私は、いまだに自分の中で明確に意味づけることができていない。
自分の生きる空間のすぐ隣に暴力があるということ。
銃を突きつけられている人がいるショッピングモールから車で20分ほどのところで私は、マサイマーケットでのショッピングとサファリを楽しんでいた。その矛盾した状況と混乱による居心地の悪さは、喉に刺さった小骨のように今でもケニアを思うたびに心の奥底でちくちくと疼いている。
この究極に後味の悪い経験を持ち帰った私は、「もう一度ケニアには行かなくてはいけないな」そう思い続けてきた。利他の精神といった崇高な思いからというよりは、おそらくずっと座りの悪い椅子に腰かけているようなそんな気持ち悪さを、解消したかったのだと思う。
さてイルファー釧路の解散で、どうやらそう簡単にはこの座りの悪い椅子からは逃れることができなさそうだということがわかった。
それならと、この度モヨ・チルドレンセンターへのマンスリーサポーターに申し込んでみた。ささやかすぎる抵抗である。それでも、私の喉に刺さった小骨が、モヨの子どもたちの未来を創るそのほんのひとかけらにでもなるのなら、ずっと抱えてきた甲斐もあるというものである。
最後に改めて私にケニアとの出会いをくれたイルファー釧路と宮城島代表、そして須藤事務局長に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。